プロフィール

なみちどり簡単なプロフィール

初めまして、現在埼玉県で細々と「調べる・書く・作る」を仕事として成立させるための日々を送ってます
1972年2月三重県生まれ
概ね名古屋育ち
埼玉県朝霞市在住(2020年2月現在)
名古屋市内デザイン専門学校スペースデザイン学科卒業
デザイナー・受注オペレータ・Web管理などを経験
28歳で結婚のため関東へ
在宅仕事で
コミュニティ管理、サイト作成、モノ調べ

最近ではサイト制作や個人名刺の請負
障害者の就労に関するWebライティング
メンタルヘルスマガジンこころの元気+(NPO法人COMBO機関誌)コンボライターとして採用多数

興味の方向は
デザインと知的財産

平成10年初級システムアドミニストレータ合格
令和2年知的財産管理技能士3級取得

さらに詳しい自己紹介

1972年2月28日三重県上野市(現・伊賀市)生まれ
生まれた日には、連合赤軍が立てこもっていた浅間山荘に警官隊が突入という中々歴史的事件がありました。
この年は、日中国交正常化や沖縄返還・札幌オリンピックもありました。
父の仕事の関係で、静岡を経由して名古屋3歳で転居。
その後1年だけ長野に居ましたが、それ以外の学齢期を名古屋で過ごしました。
28歳で結婚のため埼玉に、その後いろいろと人生が入り組んで東京→神奈川→埼玉と移り住みました。
とりあえず結婚は一回ではないと言う事で。

高校時代

滑り止めの私立女子校に進学。
高校の最初の進路面談直前に、親に「デザインの道に進みたい」と言いだし2時間にわたりなぜそう思うか・この先どういう進路を考えているかをプレゼン
なんとか親は説得して、面談に臨み担任に勧められた進路を拒否。
実は小学校時代、図工の成績は5段階で2。
今思うと親はよく認めてくれたなぁと、親の言うとおりの道を行く必要は無いけどこの段階でお金を出してくれるのは親でしたからちゃんと話をしたいと思っていました。

滑り止めでは有りましたが、人としての何かを学べた3年間でした。

専門学校時代

デザイン系大学も受けましたが、何しろ図工2ですから…
専門学校のプロダクトデザインコースに進みました。
グラフィカルなことやおしゃれなこととはあまり直結しない、図面を引いたり見たり・なにか模型を作ったりそんな事ばかりやってました。
座学も人間工学とか概論で、おそらく世間一般のイメージするデザインの世界とは違います。
周りは器用でセンスも有り、間違っても図工で2とかとったことの無い人たち。
すさまじい劣等感と共に過ごしました。
ただ、何を作っても「コンセプト」は絶賛されました。
正直なところそれだけで卒業出来たと思ってます。

職歴

転職経験及び在宅での請負など、ちょっとあちこち行ってます。

デザイン事務所


学校を卒業後、なんとかデザイン事務所にデザイナーとして就職。
元々手先は不器用、ブロダクト系の事務所とはいえ立体物を作る機会は中々無く
冷暖房器具の銘板(操作盤…でいいかも)のデザインなどをしていました。

入社時の私は酷いもんでした。よく残ったなぁと思います。
マンションの一室、先輩が1人と同期との3人からの同期と2人だけそして社員が私1人。
どんどん責任が重くなり能力も追いつかず苦しい時期もありました。
その後社長の親族が入社してきて21歳にして部下が出来る重荷と、この子がかなり優秀で助かりました。
しかし、ここに居たら追い詰められる、そう気がつき退職。

専門学校を出ての専門職を辞め、何が出来るか悩みました。 たまたま父がタイピングの練習を自宅でしていて、パソコンを使わせてもらいひたすらタイピング練習。 でも、次に何をして良いのか考えていたときにデパートのチラシにお中元アルバイト募集の文字を見て応募 短期の外商事務で採用されました。 他の仕事にやっと目が行った瞬間でした。


ショップ

趣味性の高いショップでの出荷伝票のオペレータとして入社。
知人の勤め先で「どこか仕事紹介してもらえない?」と言ったのがなぜか同じ会社に入ることに。

毎日毎日入力の日々は楽しかったですが、全くわからない分野の商品を扱うことはなかなか大変でした。
ついて行くのに必死でした。
電話注文の受話、その他軽作業、店内イベントチラシなども作成。

正規雇用でも、上司や役員が雇用の当たり前の常識を知らないと何も守られないと気がつきました。 前職も含め「有給休暇」などそもそもシステムがない。 相談しても「うちは有給休暇はありません」と返答があるのみ。(かろうじて病欠は出来ました) 残業手当も途中でなくなったので働き方に疑問を感じました。 いっそ時給で働けばこういうモヤモヤは減るのでは?と思い始めました。

問屋(アルバイト)

問屋と書きましたが、具体的には出版取次つまり本の問屋です。
書店様からの注文を処理する部署に配属されました。
電話での受注とその処理、伝票の処理が仕事です。
出版流通に興味があり、その仕事に関われたことはとても嬉しかったです。

この問屋に勤務している時期に父を亡くしました。
それと前後して、何か専門性がほしいと思い、初級システムアドミニストレータ試験を受験するなどしていました。
この職場は父が亡くなったら辞めると最初から決めていたので契約更新時期に退職しました。

官公庁(派遣)

派遣会社に登録。
2ヶ月ほどの靴問屋への派遣を経て、国の省庁の地方支局に派遣されました。
仕事はデータ処理、入力してデータを提出。
12ヶ月契約の11ヶ月目に体調不良で契約終了。
迷惑も掛けたし完遂出来なかった事は今でも悔しいです。

年度が替わって1ヶ月経ったところで同じ省庁の別部署に派遣
Webサイトの管理を主に業務としました。
もともと、前任者の急な契約終了に伴い後任が見つかるまでとの契約でした。
体調も万全で無く、とにかく後任を探してもらって契約終了。

ここで私の「期限を限らない就労」はストップしてしまいます。
体調不良は精神科クリニックで「双極性障害(躁うつ病)」と診断されました。

転居・結婚・在宅仕事など

結婚に伴い、名古屋から埼玉に転居。
環境の変化に中々ついて行けませんでした。

結婚生活はもうホント様々なことが有り、ということで結婚は1度では無いとだけ。
埼玉→東京→神奈川→埼玉と20年間掛けて移動しています。

在宅仕事と単発のお仕事

コミュニティ管理と、それに付随するサイト作成や管理のスタッフとして声を掛けてもらえました。
コミュニティは小さなモノに移行し、同時に私の仕事は減っていきましたが合計10年ほど関わっていました。

他には趣味と実益を兼ねたサイト作成。
アフィリエイトなども行っていました、モノを売るために何をするか考える経験はいまも役に立っています。
ブログ的でないものでは「趣味を深掘りして調べてまとめて解説する」系のサイトを作りました。

単発でお中元やお歳暮の入力バイトも経験しました。
郵便局の年賀内務の仕事も3年連続で経験。
数ヶ月のモノだと派遣で出版社の読者からの連絡の対応部署にいました。

資格

平成10年に初級システムアドミニストレーター合格 (国家資格)
令和2年三級知的財産管理技能士取得 (国家資格)

初級システムアドミニストレーター受験のきっかけは
同じぐらいパソコンに詳しくない友人が
どんどん詳しくなっていき
コレは何かあると思って聞いたところ
「実は資格試験の勉強をしている」
なにそれ?と思い
合格して嬉しそうな友人をみて悔しいので
翌年受験、合格しました。

三級知的財産管理技能士受験のきっかけは
こちらも全く知らない資格でした。
久しぶりに大きな本屋に行ったとき時間が合って
ふらりと資格や検定の本のコーナーを見たときに
知的財産管理技能検定の本をみて
こんな資格があるのかと思い
ホントになんとなく願書を出して
勉強して合格。
願書の提出から合格発表まで
試験に行く以外は全部自宅で完了しました。

もともと主に著作権などの知的財産について興味があり
基礎知識があったことがよかったなと思います。

現在

現在は、障害者であると言う経験からのWebライティング・コンボライターとしての採用。
個人事業の友人の名刺作成やサイト作成。
自主開催の小さなイベントとそのチラシの作成。
これから何かに繋がらないかと思っているLINEスタンプ作成などをしています。

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